可能性possibilityと確率(蓋然性)probability

可能性と確率
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「〇〇が起こる可能性はありますか?」

可能性があるか?という問い。

本来「可能性」「ある」か「ない」かの二者択一です。コインの表裏。

つまり、「可能性possibility」に「程度」はありません。

仮に「可能性が50%」と表現すると、裏でもあり同時に表(表と裏が半分ずつ)である状態となり、シュレーディンガーの猫になってしまいます。これはナンセンス。

もし程度を用いたい場合は「確率(蓋然性)probability」なのです。

しかしながら「可能性がある」という言葉を「現実的な確率で起こる」の意味で使用することもありますよね。厳密には誤用なのです。

だから「50%の確率で〜〜」とか「確率は低い」という表現が正しいのです。「可能性は50%」は誤用。「可能性は低い」は誤用です。

医療現場における確率の議論

医学的に問われると、大抵の質問に対しては「可能性はある」になります。

くどいようですが、可能性possibilityは「ある」か「ない」かの二択だから。0.00000001%でも「可能性はある」です。

例えば「大谷選手のホームランボールが場外に転がり出て宅配便の車にのり、それが何かの拍子に袋に入り、紆余曲折あってあなたのお家に届く洋服に紛れる可能性」だって「ある」んです。確率は0.00000001%ですけど。その事象が起こることは否定できないのです。

「左右の取り違え」ってまったくナンセンス。あり得ないと思うでしょう。でも可能性は?と聞かれたら「ある」としか答えられません。

「手術で失明を起こす可能性は?」と問われたら「ある」としか答えられないし、「手術合併症の原因が手術執刀医が未熟であったためである可能性は?」と問われたら「ある」としか答えられません。

でも多くの人は「可能性」という言葉を高頻度で「確率」の意味で使用していますよね。厳密には誤用なのです。

この誤用の結果、以下のように議論が噛み合わなくなったり、意図的に誘導されることもあります。

「滅菌処理のプロセスに問題があった可能性は?」

「そう言われてしまえば否定はできません。可能性はあります」

「ほら、やっぱり滅菌処理に問題があったんだ!」

このように「可能性」で話されると、科学的な態度ではほぼすべてを肯定しなくてはなりません。「可能性」で問われたら「ある」か「ない」かで答えるのが科学的に正しい態度だからです。そして0.00001%の確率であるとすれば「ある」になります。でも受け手は「そこそこな頻度で起こる」と解釈してしまいます(言語学的には間違いではない)。その結果すれちがいが生まれます。

それゆえ、事象が生じる確率の幅を議論したい時は、確率ないしは蓋然性probability で話をすべきです。

「滅菌処理のプロセスに問題があった確率(蓋然性)は?」

「多重にチェックしているので蓋然性(確率)は極めて低いです」

というやり取りが健全でございます。


時々私がいうかもしれません。「”可能性”ではなくて”確率”でお話させていただきますね」と。

参考

◎『「蓋然性」と「可能性」の意味の違いと使い分けを例文つきで解説』

『シュレーディンガーの猫』wikipedia

追伸

日本の全外科医師が本日心肺停止になる可能性はあります。ですがその確率は低いため無視しないと社会が回りませんよね。蓋然性に基づいて物事を判断することが大事。

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