ちょっと問題のありそうな患者さん。治療すべきかどうかのジャッジは医師がしてよい?

判決シーンアイキャッチ
患者家族
まぶたが下がっていて見えていないようなんです。眼科では視力は問題ないと言われました

高齢、かつ重度の眼瞼下垂だった

眼瞼下垂がひどくて、横方向のスリット程度にしか目が開いていない80代の男性。息子が連れてきました。加えて重度の難聴もち。
手術の話をしても、聞いていない(聞こえていない)(補聴器をつけているが)様子。
紙に書いて説明しても見えてなさそう(下垂がひどい)です。歩行もままならず、手を取ってもらって誘導してもらう必要があります。
「何か質問はありませんか?心配なことはありませんか?」と聞いてもシーーン(無反応)。。。。耳元で大きく喋ると「はいはい分かりました」というコミュニケーションレベル。
認知症を疑うレベル。
「手術しちゃうの?」というスタッフから私への若干冷ややかな眼差し。スタッフの気持ちも分かります。治療の理解がないと、往々にしてトラブルを生じます。その度に家族、スタッフも翻弄されるのです(もちろん本人も辛い)。
悩みます。。。比較的スリムなまぶたをしているので手術も難しくなさそう。。。
乏しいコミュニケーションレベルの中でも「理解力」が垣間見えました。Goです。

眼瞼下垂の手術を行なった

息子さんの協力を得て、本人の意思を確認、手術を行いました。両目で25分。
そして1ヶ月後の診察。目が開いていました。杖で自力で歩いていました。
「見えます。明るいです!」多弁な彼。communicativeな(おしゃべり好きな)彼に「また経過を教えてくださいね」と話を遮ってお返ししたのでした。
安堵の気持ちもありましたが、あの時「迷ったことがよかったのかどうか?」という課題を突きつけられました。

医師にゆだねられる判断

視覚と聴覚の不自由さをもつ生活の中で性格も閉じこもってしまったのでしょう。危うく「認知症」のレッテルを貼ってしまうところでした。そんな彼を息子さんが救い出したのです。
あと何年生きるかわかりません。手術のリスクもあります。しかし、決断し、明るい余生を手に入れた彼。
手術をしても良いかどうか?認知症ならば手術の是非は議論があります。認知症であれば「すべきでない」という意見も一理あります。本人のみならず、周囲の負担を鑑みれば利益の方が少ないでしょう。そもそも「判断力」の問題もあり、そのような人を手術することに対しては倫理的な問題もあります。
しかし今回は、倫理的な問題以前でありました。正常な判断力を持つ人に対して誤った選択肢を提案するかもしれなかったのです。「その判断が医師に委ねられている」という重い責任を感じたのでした。

さらに飛躍して思い悩んだこと

患者さんの社会におけるポジションによって治療が変わって良いのか

「この人は問題を起こしそうだから治療をしてはいけない」から
「この人は社会に迷惑をかける人であるから治療をしない」という判断まで飛躍する可能性。
その判断を末端の医師がして良いのでしょうか???実際医師の間で議論が起こることもあります。
「自傷行為に対する治療は健康保険を適用すべきでない」
※リストカットの縫合を無麻酔でやる医師がいたと聞いたこともあります(教育のためと称して)。
「危険を顧みずにおこなった行為による怪我に対しては、健康保険を適用すべきでない」
「自由診療、民間療法後のトラブルは健康保険を適用すべきでない」
「糖尿病など生活習慣が原因の腎不全は透析しない」
倫理の専門家でない医師が「人をジャッジ」することの怖さを感じるのです。「適正を判断する」というともっともらしいのですが、、、
皆さんはどう思う?

あとがき

こういう医師の「態度」って”judgemental”という表現であってるかな?

>「専門医による、まぶた治療をまじめに考える教室」

「専門医による、まぶた治療をまじめに考える教室」

”まぶた治療のリスクと利益を冷静に評価したいですか?”
当然ですよね。やっぱり後悔したくないですからね。

”講師の金沢の本音を聞きたいですか?”
個人的な体験、解釈、裏話を盛り込みました。嘘偽りのない真実です。まぶた治療に誘導するものでもありません。適性のない人はむしろ治療をしない方向に誘導するくらいですよ。

まぶたスクールは7日間..期間限定の非公開症例写真は受講者だけに。

*受講資格の項目を満たす方のみが対象です。次のページで確認を。

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