セレブの顔がおかしくなってきた。なにか入れすぎてる感がすごくて顔が人間離れしてきてる。
セレブの画像や動画をみてこのような感想をいだいたあなた。そうなのです。世界的にも問題として取り扱われはじめました。
Overfilled Syndrome 入れすぎ症候群
フィラーを顔に注入して若返り。唇や顎に入れてより魅力的に。
手軽でダウンタイムも短いことから人気のある美容医療。フィラー(ヒアルロン酸製剤)はジェルのような透明感と質感。コレを注射器で盛り上げたいところに注入します。
半年から一年半で吸収されるという設計。なので継続して打ち続けることになります。半永久的に残る製剤はトラブルが多いことから、いずれはなくなるという安心感もあります。
ところが一部の人が『入れすぎ症候群』に陥る現象が観察され始めました。突出した頬、腫れ上がった唇。第三者が見れば明らかに「自然さ」を逸脱した異様な顔貌になります。そしてさらに恐ろしい点があります。当の本人は異様であるとの自覚がない上にもっともっと注入を欲しがるのです。
検索ワードで「botched face」「overfilled syndrome」で検索してみてください。
セレブ自身がメディアにその姿で露出していることからもわかりますよね。
それだけではありません。美容業界のカンファレンスの場で、医師自身がOverfilled Syndromeに陥っているケースが複数観察され、ここ数年業界はざわついています。
いったいなぜ??
業界も警鐘をならしつつ、なぜこのようなことが起こるのか議論をしています。
この動画の主はDr Gavin Chan。自身がフィラーで美容医療を提供しています。そして複数の医師や患者へのインタビューを通して考察をしています。
この動画の中のキーワード、キーフレーズを抜き出します。
- フィラーで満足してもその幸福は一週間しかもたない。そしてその状態が普通になってしまう。入れすぎが継続すると入れすぎが標準になる
- 茹でガエル(変化が少しずつなのでわかりにくい)
- そもそも年齢を感じさせる要因を理解できていない。フィラーが解決するのは特定の部分のみ
- 全体(ゲシュタルト)を見ていない
- BDD(身体醜形障害)との関連。医師自身もBDDを持っているケースがある
- フィラーは期待しているよりもずっと長持ちしている
- 施術者はこれ以上はNoというべきだが、ビジネスでもあり…
- 時々溶かすことを提案
- SNSは劣等感を引き出す。
- 濃い化粧も瞬間的には魅力的に見える。ノーマルを超えたスーパーノーマル。孔雀の例
入れた直後の得も言われぬ幸福感。お花畑が脳内に展開します。素晴らしいことです。
ところが一週間すると飽きてしまい、いままでのボリュームで満足できなくなります。そしておかわりを欲しがります。変化が少しずつだから自然さから逸脱していくのを自覚できないままというストーリー。これは比較的広く受け入れられているコンセンサスです。
だからヒアルロニダーゼで一旦溶解し、ゼロリセットすることを提案しています。つまり本来の自分を再認識すること。しかしながら溶かす行為は本人を傷つけ、医師と患者との信頼関係にヒビが入るリスクもあるようです。悩ましいですね。
ここからは私の考察
出口戦略をもてるか?
やめ時をイメージすること。ゴールを設定すること。
イメージする理想は左の女性。ですが現実はフィラーを繰り返すと右になります。繰り返すほどに理想からむしろ遠ざかります。
若く見えること、老いて見えること。数百のパラメーターがあるうちのせいぜい4つか5つのパラメーターしかいじれないんです。今の医学では。だからそのパラメーターだけ足してもむしろバランスを欠いた異様な出で立ちになるだけなのです。コントロールできる限られたパラメータ。それに足すことが許されるのはせいぜいプラス5%と思います。そのプラス5%をゴールに設定してそれを超えないようにすることが大事。そこから加齢に伴って引き算していくことは受け入れるという出口戦略です。
フェイスリフト手術やボツリヌス注射には必要とされていない、フィラー独自の出口戦略ですね。
ハリウッドの特殊メークを想像してください。若い俳優さんを老人にするにはメークを盛っていけば可能。一方老俳優を「盛るメーク」で若返らせることは残念ながらできません。盛るアンチエイジングはそもそも限界があることがこのことからも分かりますよね。※加齢に伴って顔って大きくなるのです。この前提を知ることは大事。
新しい価値観の誕生
しかしOverfilledの人は「普通」から逸脱し過ぎでは?という疑問を埋めることはできません。本当に気づいていないのでしょうか?
私の仮説です。オーバーフィルドシンドローム顔を美とする価値観が生まれているのではないかということ。
コレを記したのは私のnoteの記事です。
ケンシロウの顔が馬に。いやきゅうりか。(最近北斗の拳の第二部をおさらいしていました。) 漫画家が何年も活躍…
上の動画で「スーパーノーマル」という表現がありました。
その言葉から連想するのは芸術の世界の「シュルレアリスム」です。シュル(超、上)レアリズム(現実)。現実を超越した表現。ダリやマグリットの作品が有名でしょうか。
夢の中に出てくる世界のようで、自分がソコにいても違和感がないくらいには現実感リアル感はあります。でも変。
芸術家たちはシュルレアリスムを追求し始めました。脱ノーマル。不自然さを追求し始めるのです。
そして、キュビズム。レアリズムはもはやありません。ですが芸術家たちはどんどんキュビズムを先鋭化。まさしく脱ノーマル、不自然さの追求です。そこに価値を見出したのです。
ここで我々の生活を振り返ってみましょう。
メークやヘアスタイルも「自然さ」から遠ざかる感性ですよね。ファッションもキラキラに走り始めた人はより一層キラキラに突き進みます。
だからね。「不自然さを追求したいという感性」を人間は生まれながらに持っている可能性があると思うのです。
新たな価値観の誕生とすればOverfilled Syndromeを新たな文化として受け入れることができるかもしれません。そう考えたらまだしばらく静観してもいいのかなとも思った今日このごろです。
あとがき
本記事は金沢の個人的見解です。皆さんの議論のきっかけになると嬉しいです。