人の顔の特徴を指摘することは、避けるべきだ。デリカシーのある人間なら。
でも、例外もある。
それは、目の左右差が気になって気になって、日常生活がままならなくなってしまった人に対してだ。ほんのわずかな目頭のかたちの違い、目尻のたるみ、二重幅の左右差。
そんな小さな違いが、心の中でどんどん大きくなってしまったとき。
私はそっと言う。
「眉の高さに左右差があるの、気づいてますか?」
「えっ?」
「ほうれい線の深さと角度、左右で違うの分かります?」
「は?」
「噛み合わせの平面が傾いてるって気づいてます?左でよく噛むでしょう?」
「え?なんで知ってるんですか?」
「頬の高まり、左のほうがふんわりしてるの、わかります?」
「あ、そういえば……」
「目の出方の左右差もありますね。」
「そうなんです……」
「顔、まっすぐにできます?写真屋さんで傾きをなおされませんか?」
「いつもなおされます……」
そう、気づいてくれるのだ。目の左右差は、たくさんあるパラメーターのひとつに過ぎないのだと。
その瞬間、表情が変わる。霧が晴れたような顔になる。
私は何度も何度も言う。
「余計なことを指摘してごめんなさい。でもね、その左右差は病気でもないし、むしろ普通のこと。おかしいなんて、まったく思わないですよ。」
右と左は、それぞれ違う役割を持っている。はにかむとき、ものを食べるとき、何かを思い出そうとするとき——そのすべてで、左右の表情は違っているのだから。
ねえ、これも認知療法と呼べるのかな?