手術が上手とは?熟練しているとは?
手術を受けるなら熟練した外科医にお願いしたいですよね。
一方外科医だって手術が上手になりたい。経験を積むごとに手術手技が洗練されていく外科医師。
熟練度とは?一体何が違うのか?経験が必要なのはわかりますが、経験によって何が培われるのでしょうか?
段取り?知識?センス?
「0.1秒で行われる動作を、自分の中では100コマのスローで再生できる。その中の3コマの動作を意識するみたいなトレーニングをして、それを100コマの連続動作でスムーズな動きに変えていく、そして通常再生の速度に戻す」
『マラソンセンスとランニングIQ』 細野史晃著(Amazonリンク)の中で射撃の選手の話として引用されていました。
このフレーズで降臨しました。ひとつの回答が。
この表現、動画で例えると、「フレームレート(fps)が大きい」ということです。1秒あたりの画像の枚数が多いと動きが滑らかになりますね。これをスロー再生すると1秒あたりの画像が少なくなるのでカクカクした動きに見えます。だからスロー再生で滑らかに見るためにはハイスピードカメラで撮影するんですね。120fps〜1000fpsとか。。
つまり熟練した外科医の持つもの、その回答の1つが「フレームレート」だと気づいたのです。「解像度」という表現でもいいかもしれません。
例えばまぶたの手術をするにしても、狙ったポイント直前までメスやハサミを進める。あっという間にその位置に到達するように見える。しかし外科医にとってはそのプロセスをしっかりと多段階に感じとり、ハサミやメスを進めているのです。
不慣れな手術の場合
例えば私にとって不慣れな手術をすると(例えば血管吻合のための血管の処理)します。血管をむきむきにきれいに露出しなければならない。しかしどの程度の力でつまみ、引っ張るとどの程度結合組織が離れるかなどまったく分からない。やってみる。10段階の「1」のチカラで、次は「2」のチカラで、次は「3」のチカラで、、、、結果「6」の力が必要だった。でも「6」だと少し強すぎた。みたいな。だから結果も伴わない。アクセル踏んで、もっと踏んで、スピード出過ぎてブレーキ踏んで、、、ガッタンガッタンです。
こんな状態では時間がかかるのは当たり前ですね(だから私は慣れない手術はしない)。
熟練していると
これが熟練した外科医だとまずフレームレートが違う。力の入れ具合が「100段階」(究極は「無段階」)あるのです。分解能が高い。そして、少しつまんでみて100分の58のチカラが最適だと判断し、状況に応じて57〜59の力を適宜配分してサラサラと処理していくのです。。この力加減は経験を積まないと分からないのです。
熟練した外科医の手術を見ると、その手術が簡単に見えるんですよね。アクセルの踏み込む量、エンジンの回転数が緻密に最適化されているから、燃費良く巡航するのです。
この分解能というのは、「入力」と「出力」があります。「入力」は受け取る情報。視覚情報、触覚から伝わる質感、重み、硬さ、もろさ、抵抗です。「出力」は外科医の指の「力加減」「動く距離」「時間」です。「入力」と「出力」がリアルタイムに影響しあって最適な条件が作り出されます。
だから熟練した外科医の手術を何万回見学しても、残念ながら手術ができるようにはなりません。高フレームレートな「入力」と「出力」が体験できませんから。
ちなみに熟練したランナーは足の接地の感覚が鋭いです。まず小指(第5趾)から地面に着きます。その後第4趾、第3趾、第2趾、拇趾とドミノ倒しのように順番に接地するのが分かるそうです。これは「入力」の分解能ですね。一般人には一瞬のことでまったく理解できません。
そして米粒に字を描く達人。これは「出力」の分解能が高いのはわかりやすいですね。ではマグロの解体は?これも「出力」の分解能が高いです。ミクロンの世界に限らないのが要注意です。
展望
さて、、科学が進歩してロボットが手術することはできるでしょうか?
私の答えは「可能」です。入力および出力の「分解能」は人間を超えていくでしょう。
ただし、同じ手術が完璧に行われてもその後の経過は十人十色。だから人間は当面は必要です。
でも外科医の数は少なくて済むかなあ?