眼瞼(まぶた)の解剖の歴史|解体新書ほか

上野の国立科学博物館の特別展;医は仁術 2014年3月15日(土)~6月15日(日)

江戸時代の医学に関する古文書や器械がずらりと展示されています。

杉田玄白らによる解体新書(1774年)。ドイツ人医師クルムスの解剖学書「ターヘル・アナトミア」(1734年)を翻訳したものです。日本初の翻訳本。

眼瞼挙筋
眼瞼挙筋

しっかりと眼瞼挙筋が記されていますね。
「眼胞筋」と訳されています。これを翻訳するのは大変な苦労があったことでしょう。

裏のページが透けて見えるのが当時の紙の薄さを物語りますが、印刷は綺麗です。これを手にした江戸時代の医師たちは感動したことでしょう。

さらに、江戸後期に作られた南小柿寧一(みながきやすかず)による「解剖存真図」では、

解剖図。裏から見たもの
解剖図。裏から見たもの

囲眼筋:眼輪筋
眼胞筋:眼輪筋瞼板部?
*(冠が如、足が手:dragの意味)眼筋:眼瞼挙筋

「マブタを開閉する」といったコメントがあります。江戸時代には瞼の解剖と生理学もある程度理解されていたようです。

2014年現在、眼瞼の解剖はまだ未知なことが多いですが、その原点を見ました。

ちなみに「解体新書」は千葉大学医学部図書館のホームページで一般公開されています。(アクセスできないようです 😳 )

「上下眼胞環筋(眼輪筋)は目を閉じさせる」

「上瞼筋(眼瞼挙筋)はマブタを挙げる」

と記述されています。

(2015年6月30日加筆修正)

(2017年4月3日加筆修正)

LP

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