顔の表情筋が動かなくなることを「顔面神経麻痺」と言います。朝の歯磨きや洗顔時に気づくアレです。ある日突然、健康な人に襲いかかります。
ベル麻痺(原因は様々)と呼ばれます。とくに帯状疱疹ウイルスを原因とする顔面神経麻痺をハント症候群(Ramsay Hunt syndrome)といいます。
主に耳鼻咽喉科で治療が行われ、半年かけて顔の動きが回復。しかし回復が不完全に終わる人もいます。その場合に後遺症を残すことになります。
この記事では、どんな後遺症があるのか?なぜそのようなことが起こるのか?将来の展望について。
そして、形成外科でできる治療について綴ります。
顔面神経麻痺の後遺症でまぶたが上がりにくくなる
後遺症の問題点
顔面神経の回復が不完全だと後遺症が残ります。麻痺が残るだけではないというのがポイント。
- 運動麻痺がまだらに残る
- 異常な共同運動(口を動かすとまぶたが閉じる)
- 罹患した側の表情筋のこわばり(拘縮)
以上から、顔の表情が左右非対称になるのです。とくに口を開く時に目が小さくなる現象を「Marin-Amat症候群」と呼ぶこともあります。
これは見た目の問題ですね。
そしてもうひとつは機能の問題。
それはまぶたが上がりにくくなる事です。この時、ふたつのことが起きています。
おでこの筋肉が緩み(麻痺が残る)、眉が下がります。これだけでも視野が狭くなりますね。さらに眼輪筋(目を閉じる筋肉)がこわばり(拘縮)ます。その結果まぶたが上がりにくくなります。眼輪筋は目を閉じる筋肉。目を開くときは眼輪筋は弛緩すべきですが、こわばると収縮したままです。つまり目が開きません。
視野が狭くなり、生活に支障をきたします。
なお、顔面神経麻痺時の治療で粗大な運動をリハビリテーションとしてすべきでないとされています。その理由はこのような「異常な筋肉の緊張を起こす可能性があるから」なのです。
関連記事:「末梢性顔面神経麻痺のリハビリは、表情筋を動かしちゃダメなのです」(内部リンク)

神経再生のプロセスでエラーが起こる
顔面神経の枝は病気で切断されています。手足を失った状態の神経は、改めて新しい手足をニョキニョキ伸ばし始めます。その際、袖やズボンの股下の「筒」に相当する部分(髄鞘:ずいしょう)が残っていれば、その筒の中で再生します。しかし、袖や股下を失った場合は、その枝の再生プロセスで枝が間違った方向に伸びてしまい、目的とは違う筋肉に接続してしまいます。結果、上のような後遺症が起こります。
さらに、目が小さくなるだけでなく、
- ご飯を食べるときに涙が出る(ワニの涙)
- 顔を動かすと耳鳴り(アブミ骨筋性)がする
- 耳の後ろが凝る
という症状も現れます。これも、再生プロセスで混線を生じてしまった結果です。司令がまったく見当違いの所に届いてしまうのです。
顔面神経麻痺後遺症の治療
症状が安定してから(麻痺発症して半年以上経過)の話です。顔面神経麻痺の後遺症はひとたび固定(変化がなくなること)すると自然には治りません。残念なことに、多くの医師は患者さんに対する診療行為をここで「終わり」にしてしまいます。なぜなら治療手段が知られていないからです。「顔面神経麻痺の後遺症」という概念すら認識されていない場合もあります。
以下のような有名なサイトもハント症候群の概念や治療法については詳細に記されていますが、後遺症の治療は全く触れられていません。

「鍼治療の医院が最後の受け皿になっている」というのが現状のようです。
後遺症としての瞼裂狭小(目が小さくなること)
多くの患者さんの訴えは「顔の非対称」です。その中でも、「まぶたが上がらない」ことを訴えます。
目を開くときには、眼瞼挙筋が収縮してまぶたを引っ張り持ち上げます。その瞬間は上まぶたの眼輪筋は弛緩(ゆるむ)するのです。眼瞼挙筋はまぶたを上げて目を開く「アクセル」、眼輪筋は目を閉じる「ブレーキ」。アクセルが入るとブレーキが解除されるのが正常な動きです。これは筋肉の正常な共同作用(Coordination)。
顔面神経麻痺後遺症では、その眼輪筋がこわばったままです。つまり「ブレーキ」が効いたままなのです。
加えて、挙筋腱膜のまぶたへの連結が弱い場合(多くの成人は連結が弱い)、挙筋を収縮させてまぶたを引っ張り上げようとしてもまぶたがついてこないのです。「アクセル」の連結が悪い状態です。
サイドブレーキがかかったままアクセルを踏んでいます。連結がしっかりしていればサイドブレーキが引かれていても動きます(まあ、ブレーキが焦げます😨)が、挙筋の連結の弱い大人は「発進」できません。
以下の写真を見るとわかるでしょう。左が病側(顔面神経麻痺をかつておこした場所)です。
目を閉じる筋肉(眼輪筋)がこわばったままです。これを拘縮(こうしゅく)と言います。目を開きたいのに筋肉が弛緩してくれません。まぶたが邪魔です。下まぶたの眼輪筋も収縮しているのが分かりますね

「あがらないまぶた」に対して形成外科医ができる治療
- ボツリヌス毒素注射
- 手術
ボツリヌス毒素注射は筋肉の力を弱める(麻痺させる)治療です。眼輪筋の力を弱め(ブレーキを弱め)、まぶたをあげやすくします。効果は3〜4ヶ月あります。定期的に注射を行います。
手術では、眼瞼挙筋の連結を作ります。アクセルの機能を回復させる手術です。症例によっては眼輪筋やミュラー筋を処理します。まぶたがしっかりと上に持ち上がるようになります。
治療に際して注意すべき点があります。それは、まだらに麻痺も残っている点です。したがって「目が開きにくいのに、目も閉じにくい」ということも起こり得る、なんともイヤラシイ病態なのです。だから手術で目が閉じにくくなるというリスクもはらみます。
手術治療の限界を知っておくべき
しかし顔の表情が元どおりになる治療ではありません。過大な期待は禁物です。あくまでまぶたを持ち上げやすくする治療です。なによりも神経の過誤支配(異常な経路で再生した神経)は治せませんから、異常共同運動や、ワニの涙現象は治りません。(注意:手術で一時的に異常共同運動が改善することはあります)
今後の展望
ボツリヌス毒素注射とリハビリテーションを組み合わせ、神経のリモデリングを図る治療も試みられています。新しいトポグラフィー(表情筋と対応する大脳皮質の一対一対応のマッピング)を作るイメージでしょうか。それか混線したコードを引き抜いて配線し直すイメージでもいいでしょう。
顔面神経麻痺後遺症のモデル患者さん
左顔面神経麻痺(ハント症候群)は20年前にも遡ります。以下の後遺症が残りました。
- こわばり
- 異常共同運動(口を動かすとまぶたが閉じる)
- 麻痺がまだらに残る(目をしっかり閉じれない、瞬きができない)
- ワニの涙(食事中に涙が出る)
を認めました。上の写真のように、上を見るときに左まぶたが上がりません。
行った治療
- 左右の眼瞼下垂症手術(挙筋前転法)
- 左上眼輪筋の処理(部分切除)
ポイントは挙筋の前転は強くしないこと。目を閉じる機能が弱っている状態です。アクセルの力が強すぎると、目を閉じにくくなるからです。手術のリスクは「目の乾き」です。
そして、手術の目的はこわばりや病的共同運動の原因を解決するものではありません。あくまで目の開きをよくすることが目的です。
手術前後の写真です。
まずは正面視
あくまで静止ポジションですが、左右バランスは多少改善しました。

上方視
上を見るときの視野が改善しました。眼瞼挙筋が機能するようになりました。アクセルが連結したわけです。しかし眼輪筋の過緊張自体は残っているのが分かります。

目を閉じることができるか?
心配なのは目を閉じることができるかどうかということ。手術によって目の乾きが悪化する可能性があります。意図的に目を閉じるのは可能なので、あえて「伏し目」「下方視」してもらいます。この状態でまぶたが降りていれば大丈夫です。

口すぼめ
手術の問題点は「共同運動」は制御できないことです。ストローを吸うように口すぼめをします。やはり目を閉じるモーションが見られます。

この患者さんの特徴
逆さまつ毛による目の刺激感が以前からあったようです。手術治療によって逆さまつ毛が治りました。病的共同運動やワニの涙は残りました。これは想定内です。
動画
表情筋は動きが重要です。動画の方が理解しやすいでしょう。
参考
金沢が担当した顔面神経麻痺後遺症のまぶた治療を行った患者さんは27人です。ほとんど(病歴がはっきりしない人もいるので正確な数字が出ず)がハント症候群でした。
末梢性顔面神経麻痺後の瞼裂縦径狭小に対する眼瞼形成手術ー12症例の検討ー雑誌形成外科 vol.57 (5) 2014 金沢雄一郎ハント症候群やベル麻痺による末梢性顔面神経麻痺の回復が遅れることがあります。神経の迷入再生がおこり、患側[…]
◎末梢性顔面神経麻痺後の瞼裂縦径狭小に対する眼瞼形成手術ー12症例の検討ー雑誌形成外科 vol.57 (5) 2014 金沢雄一郎
追記:顔面神経麻痺後遺症の経過を教えてくれるYouTubeアカウント
注)私の担当患者さんではありません。